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温泉の歴史
■江戸の銭湯・・・・湯屋
湯屋のはじまり〜関西では風呂、江戸では湯屋と呼ばれていた〜 銭湯のことを明治時代前には関東・江戸では「銭湯」「湯屋(ゆうや)」と呼び、関西・上方では「風呂屋」と呼ぶのが一般的。徳川家康が江戸入りし開幕した翌年、1591年(天正十九)に 江戸・銭(ぜに)瓶(かめ)橋(ばし)に湯屋の第一号店が開業。この頃の湯屋は蒸し風呂でした。江戸一番の呉服屋「越後屋」でさえも、自宅には風呂はなく、町人や商人の家に風呂はないのが当たり前で、みんな銭湯に行きました。あかぎれ、すりぎずの膏薬なども置いていました。1800年ごろ、江戸市中に銭湯は600軒あったそうです。

■江戸時代の混浴銭湯「入り込み湯」の歴史
江戸の銭湯は男湯専用、女湯専用、一軒を男湯・女湯に仕切ったもの、時刻で男女入れ替え制のもの、そして「入り込み湯」の5種類がありました。 「入り込み湯」というのは混浴のことです。江戸ではもともと男湯と女湯の区別がはっきりしていなかったそうです。風紀上の問題もあって、老中松平定信による「寛政の改革」により入り込み湯は禁止。しかし現代と同様で風俗に関することなので、徹底はされてなかったようです。

■江戸時代の銭湯・身だしなみ道具の歴史
一方、江戸の湯屋には「毛切り石」なるものが置いてありました。二つの石で陰毛を擦り切ることによって、手入れをしたのです。湯屋には、爪切り用の和ばさみや櫛、銅盥(かなだらい)などが備品として置いてあり、誰でも自由に使うことができました

■江戸時代の銭湯「湯屋」で働く人々
浴客から湯銭を徴収し、糠袋や手ぬぐいを貸したり、糠袋の中身の糠を売ったりするのが主な仕事で湯屋の主人か主婦、もしくはベテランの番頭が担当したのが「番台(高座)」。浴槽の前に座り要求に応じて「岡湯」と呼ばれる上がり湯を柄杓で汲んで男女両方の浴客に差し出す仕事は「湯くみ」。客の背中から腕を 垢すりか糠袋でこすり、湯で洗い流し、軽くマッサージをする三助の仕事。これがすむと背中をパンパンと景気よくたたく。その手際のよさによって祝儀の額が違ったのだそうです。

■湯舟の語源
江戸時代に居た水上生活者のために浴室を設けた舟が巡回して営業していた。これを「湯舟」と元は呼びました。人目を避けるため、男女の密会にも使われたようです。

■湯女風呂の歴史
徳川家康が江戸入りし、開発の進む中、建設に従事する労働者にとって砂塵や汗を洗い流す大衆浴場は必要不可欠なものとなりました。労働者の大半は男ですから、男が集まるところに「女」は付きもので、やがて銭湯にもあやしげな気配が漂ってきます。それが「湯女風呂」です。

■江戸時代の身だしなみ「髪結い」の歴史
床屋が特に多かったのは独身男性が多い江戸だったが、江戸の男性はかなり頻繁に床屋に通っていたらしく床屋は番所や社交場としても利用された。江戸や大阪・京都では、床屋は幕府に届出して開業した後は町の管理下で見張りなどの役割を果たしており番所や会所と融合したものを内床、橋のそばや辻で営業するものを出床、道具を持って得意先回りをするものは廻り髪結いと呼ばれていました。当時の床屋は現在の美容院と違って客の髭を剃ったり眉を整えたり耳掃除までしていたため、かなり長い年月の修行が必要になる技術職でもあった。

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